医学部新設の舞台裏
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成田市、医学部新設の舞台裏とは?
7月31日、政府は成田市に医学部を 新設する方針を固めた。2017年4月の開学を目指すという。なぜ、成田市が医学部を新設しようと考えるに至ったか、その舞台裏を紹介したい。
きっかけは09年の新型インフル騒動だ。成田空港を抱える成田市はパニックとなった。この問題への対応で中心的役割を果たしたのは、成田市議の宇都宮高明氏(後の議長)と成田市副市長の片山敏宏氏だ。
当時、私も新型インフル対策にかかわっており、旧知の宇都宮氏から協力を要請された。そして、紹介されたのが片山氏だ。偶然だが片山氏は、私が東大時代に在籍していた剣道部の3年後輩にあたる。つまり、4年と1年の関係だった。彼は卒業後、国土交 通省に入省し、成田市に出向していた。親しい仲間で議論すると本音が出る。私は「新型インフル対策で重要なのは専門家を養成すること。医師不足の成 田市では、どんな対策を立てても実行できない」と主張した。2人は、この意見に賛同した。自らの経験とも合致したようだ。
宇都宮氏は愛媛県西予市出身。かつて守護職を務めた伊予宇都宮氏の末裔である。日弁連会長を務めた宇都宮健児氏も同族だ。中央大学卒業後、新東京国際空港公団に入社した。当時は三里塚闘争の真っ最中で、業務は「妨害鉄塔の用地交渉だった」という。その後、空港公団労働組合委員長も務めた筋金入りの闘士である。
一方、片山氏は福岡出身。久留米大附設高校から東大文Iに入学した。彼は「私がここにいるのは、(ブリジストンの)石橋家が久留米に医大を作ってくれたからです。医大がなければ附設もなかった」という。久留米大附設は、今や全国屈指の進学校だ。九州中から優秀な生徒が集まる。ソフトバンクの孫正義社長も、かつて通った。ブリジストンと医科大学の町、久留米は現在も人口30万人の独自の経済圏を形 成し、この地からは松田聖子や藤井フミヤなど多彩な人材が生まれている。 この話を聞くと、地域を支えるのは教育だと実感する。
この2人と話すと、口をそろえて「成田市は豊か」という。成田市は、江戸時代から成田山新勝寺の門前町として栄えた。現在も成田空港会社からの固定資産税があり、全国屈指の豊かな自 治体だ。財政力指数は1.27で、人口10万人以上の自治体に限れば、浦安市、武蔵野市、東海市に次いで4位である。 ところが、この財政力をうまく活用しているとは言い難い。あくせくしなくても、 お金が入ってくるので無理をしない。 宇都宮氏は、この状況を「お賽銭経済学」という。伊予や久留米とは対照的だ。新型インフル騒動が起こった09年は、成田市にとってもチャンスだった。 08年5月に国交省が羽田空港の国際化拡張を決めたため、政権交代した民主党は、成田市に何らかの見返りを与える必要があったからだ。宇都宮氏や片山氏は、それを医学部新設の規制緩和に求めるよう運動した。幸い、成田市には財政力がある。規制さえ緩和すれば、補助金なしでもやれる。リーマンショック後の財政難に喘ぐ政府にとっても都合がよかった。
こうして、10年2月7日に成田市役所の大会議室で、最初の会合が持たれた。成田市の小泉一成市長は、この場で「医学部新設」をぶち上げた。あれから5年半、いよいよ実現のめどがたった。その間、東日本大震災があった。一筋縄ではいかなった。ただ、その間も主導したのは宇都宮・片山コンビだった。この話は別途ご紹介したい。